読心術に「全集中」
2022/8/26
噓をついてはなりません。幼い頃から、私たちは大人からそう言われて育ちます。噓も方便などという場合がなくはないですが、だいたい噓は悪と決まっています。ところが、嘘が許される、いや、むしろ上手い噓であればあるほどほめられる世界があるのです。それは「フィクション」の世界。映画、テレビドラマ、漫画、アニメ、ゲーム、芝居など、あげればきりがありません。それらは娯楽、エンターテイメントなどと言われて、人間の楽しみのため存在します。もし、これらのものがなければ、人生はずいぶんつまらないものになるでしょう。そして、国語にもフィクションの分野があります。小説です。教科書にも載っていますし、入試問題にも出ます。事実に基づいて書かれたノンフィクションというものもありますが、小説というのは、たいていの場合は「作り話」です。所詮、「作り話」に過ぎない小説に振り回され、テストの点に一喜一憂するのは、いかにも悔しいではありませんか。
ところで、教科書で習う小説は面白いですか。印象的で心に深く残っている作品はあると思います。でも、面白かった、楽しかった、わくわくした、という経験はあまりないと思うのです。それがない自分はだめなのではないかと思う必要などまるでありません。それが普通です。なぜならば、国語の小説は娯楽のために書かれているわけではないからです。もちろん、娯楽のための小説という世界はありますが、残念ながら教科書にはほとんどないし、入試問題でもほぼ見かけません。
では、娯楽と無縁であるなら、国語系の小説は何のために書かれるのでしょうか。それは人間の心理・心情をいかに細やかに描くか、ということです。人間の心は単純なものではありません。例えば、部活動で自分の学校が全国大会に進んだとしましょう。けれども、自分はあと一歩のところで、レギュラーを逃し、補欠。しかも、メンバー争いに敗れた相手は親友。とても複雑な気持ちでしょう。その友達のことは大好きだが、けがでもしてくれないかなどと考え、そんな悪魔のような気持ちを抱いた自分に嫌悪感を感じる主人公。こういうようなことを描写するのが「純文学系」小説で、国語では昔から、そのような系統の小説ばかりが重んじられるのです。
面白い物語が宣言もなく別種類の「小説」に変わるのは恐らく小学校高学年くらいだと思います。ストーリー展開の「わくわく」はどこかに消え、読解の中心は心情(の変化)へといつの間にかすり替わってしまうのです。ですから、我々は登場人物、特に主人公の心の動きを読み取らないといけないのです。そのことに「全集中」しましょう。これが、小説(問題)攻略の第一歩です。そのための方法論ですが、長くなりましたのでまた機会を改めたいと思います。それでは。
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