なぜあなたの国語の力は上がらないのか?【評論編②】
みなさんこんにちは!講師の富岡です。
前回に引き続き「なぜあなたの国語の力は上がらないのか?」について書いていきます。
(前回記事はこちら:https://manalink.jp/teacher/14828/blog/3663)
今回は、一般論「読書をすればよい。」を考察していきます。
結論から申し上げます。
読書はものすごく大切。だが、それだけで国語の成績を上げるものではない。
その理由について述べていきます。
読書とは、私にとっては欠くことのできないとても重要な営みです。
私は読書によって頭が良くなっていったと確信しています。
なぜなら、普段身の回りにいない優秀な頭脳を持った人の声が聞けるからです。
そういった人が何を、どう考えているのかを知るだけで、ぐっと知的水準が上がります。
そういう意味で読書は偉大です。間違いないです。
できることなら生活習慣に取り入れてほしい。
ですが、国語の成績に寄与するかといえばちょっと微妙。
なぜなら、読書はあくまでも総合的な思考力を増してくれはするが、国語で成績を上げるための手法を教えてくれるわけではないからです。
ですから本が大好きな人でも、国語の点数が常に高得点で安定するとは限りません。
特に、昨今の共通テストは神経質な出題も多いですから、それ相応の対策を積まないと見事に誤回答の選択肢に引っ掛かります。
また、読むことはあっても「書く」ことをしないと論述でも点数は全然取れません。
国語は「読」と「解」の両輪で前進する科目です。
どちらかが欠けていてはダメなのです。
読書だけでは、得点に直結するこの点を補うことができないのです。
とはいえ、読書は素晴らしい。
手始めに、易し目な新書を手に取ってごらんなさい。
易しい言葉で、とんでもなく深い内容を語ってくれます。
自分がいかに思いこみの中を生きてきたかがわかります。狭い視野で物事を考えていたかがわかります。
哲学者のカントは、これを「独断のまどろみ」と言いました。言い得て妙ですね。
読書は、独断のまどろみから目覚めさせてくれます。
だから、読書をしていない人より読書をしている人の方が物事の理解も早いですし、成績が上がりやすいです。
先に述べた通り、読書は総合的な思考力を高めてくれます。
そのため、私は絶対に読書習慣を取り入れるべきだと考えています。
と、最後は読書の素晴らしさについて熱く語ってしまいましたが本論に戻りましょう。
読書をすることは何も国語の成績を上げるためでなく、思考力を深めるためにあるのです。
国語は国語で正確な勉強が必要です。
前回のブログに書いた7項目は、意識して磨かなければならない〈センス〉でしたね。
評論文のようなやや硬めの文章も、正確な練習を積まなければなりません。
やはり、成績のあげ方は読書そのものにはないと言えるでしょう。
次回は一般論「答えは傍線付近にある」を検証していきます。